前夜2016/12/01 19:38

 いよいよ、明日の出発となりました。スーツケースに詰め込み完了。多分、これだけで大丈夫だと思うけれど、何度もお金が足りなくなる夢を見たので十分キャッシュを持って行くことにしました。でも、前回と同じ額だったことに、ipadの小遣い帳を見て分かりました。前回は半額以上残してきたのでした。そりゃ6泊で40万も飲んでられないよね。
 なんかぼーっとしているのは、少し飲んだせいだけれど、後は、午前2時に起きようと移動日なんで大丈夫。雪の予報があるから、何とか千歳までたどり着くことを目標にします。
 21回目のニューヨーク。冬は3回目だけれど、汗をかかないことが嬉しい。10月でも汗だくになってしまうデブなのであります。
 奥さんは今頃、ソウルからの飛行機に乗っているはず。入れ違いで帰国です。奥さんの旅行が決まってから、隙をついて私の旅を決めました。ちょっと知能犯。

初日2016/12/03 04:07

飛行機の中はwifiは有料で18ドルかかる。最初からそんな支出はしたくない。ここから情報を送る必要もない。
まずは食事。食前酒はシャンパンが出たから、ブルゴーニュの白、プイィ・フュイッセを頼む。飲むことだけが楽しみ。胡麻豆腐と煮卵が出てきたので、洋食を頼んだのにとガッカリしていたが、和洋、どちらも前菜は同じだった。その間、こうやって日記を書いていると、お仕事中失礼しますとキャビンアテンダントが謝る。悪い気はしないが、きっと仕事には見えていないだろう。それじゃあ、何に見えるか。古川ロッパも日記の鬼であった。世の中にこれが趣味の人が多い。食べ物の画像は上手く写せないから載せない。プランダードのミルフィーユとサーロインステーキ。なかなか美味しい。ワイン2杯で終了させたのは、こんなところで酔っ払いたくはないから。これからは、好きな時間に自由にオーダーすると出てくる。後でもう一食頼んだ時は、チリのピノを貰った。
「スーイサイドスコード」という漫画みたいな映画を見た。これで2時間を費やせた。後5時間半。全く普通で、何の旅の郷愁も湧かない。時計を現地時間に合わせた。早くホテルにチェックインしてゆっくりしたい。確かにビジネスクラスは楽だけれど、やっぱり移動は疲れる。ずーっと乗っていたい気持ちは消えている。最初からないか。立川生志の「芝浜」を聞きながら、iPadに向かう。書いていることは、状況の報告のみで気の利いたことは浮かばない。落語も頭に入ってくるから、まだ大丈夫。年末に芝浜か。そんな季節だね。
やっぱりダメじゃないか。65歳という年齢は全く感性が薄れている。大西洋を渡りそろそろアメリカ大陸にさしかかる。シアトルが間近だ。

後40分で到着するが、全く気分がでないのは全てが日本と同じだったから。日本人スタッフと会話して吹き替えの映画を見ていた。これでは家にいるのと同じだ。日本で10時40分だけどこちらは朝の8時40分だ。眠気だけが残る。

9/11メモリアル2016/12/03 05:50

WTCは復活した。そして以前よりも人が訪れるスポットとなった。15年経って、アメリカ人がリスペクトする聖地になったようだ。古くからあったセンチュリー21という安売りの洋服屋も健在だし、WTC自体が大きな専門店別のデパートになっているようだ。
体は疲れているのに、これから出て行かざるを得ない精神状態になっている。ホテルも快適で、シャワーしかないのだがカランの位置が可動式で以前のような固定式背の低い私のところにはパラパラとわずかなお湯しかとどかないということもなくなった。ただ少し湯量が少ない。日本から持ってきたバスローブも有効。
ホテルのエレベーターはルームキーをかざさないと自分の階に止まらない。これもウォルドルフで経験済みなのに今回も失敗してしまった。その時はスリックする方式だったが、ここはかざすだけ。スロットがなかったので分からなかった。
初日なのに面白いことがたくさんあった。JFKからのタクシーは遠回りしてコニーアイランド経由だった。どこを通ってもフラット料金なので構わないが、運転手が空いている道を通りたかったのだ。あのあたりは初めていった。いい見学になった。
入国のときのけんさかんのネエさんもフレンドリーだったし、このホテルのアフリカ系アメリカ人も感じよく教えてくてたし、幸先がいい。昼飯はどこも混んでいて、立ち食いのピザを頬張っていた。ジュースとペパローニ。6ドル70セント。

焦り2016/12/03 20:35

ゆったり構えて行動すればいいのに、せっかちに動きすぎる。午前6時から今日の行動を考えてバタバタしている。ホテルの部屋にはコーヒーメイカーがあり、快適だ。ネッスルのとはちょっと違って、作動させるのに少し時間がかかった、意外に美味しいコーヒーなので、儲かった気分になる。いままでは、外に買いに行っていた。カプセルが3つ付いているから、まいにちコーヒーだけは安泰だ。
SNSばかりいじっている。おそらく私がニューヨークにいることは100人以上の人が知っているだろう。スマホでばかり写真を撮るのは、すぐに見せたいからだろう。ワンワールドからの画像は何度もみんな見たことのある眺望だ。それなのに撮らなくてはいられない気分になっている。昔の言葉で言うならば、集団ヒステリーとでも言うのだろう。
レストランも大混雑である。相当アメリカ全土から来ているのだろう。地下鉄の券売機の前にも操作がわからない人達がいる。だから、こちらはゆっくり待つ。1週間乗り放題のパスを買う。31ドルだ。これをクレジットカードで精算しようとした。前にも出来たが、最後にジップコード(郵便番号)を問われる。日本の番号を入力してもなぁ。失敗した、ニューヨークの番号を入力覚えておくんだった。そうこうしているうちに、私の後ろにもれつができたから、諦めてキャッシュで払った。古いカードがあれが、1ドルを取られなくてよかったのに。家にはたくさんあったのになぁ。
そんなとことでケチケチしなくてもいいんじゃないか?昨日はタクシーにもバーテンダーもピタの店の店員にもチップをあげていたじゃないか。
ふと、今日のブルックリン行きが面倒になって来た。フリーマーケットって好きじゃなかったよね。レコーズレコーズの元店長がシガレットケースが欲しいと前に言っていたから、探してやろうと思っただけなんだな、これが。でも、ブルックリンに乗り込むって言うのも冒険で楽しそうだ。

歩くか書くか2016/12/04 05:42

14時間進んだ時間表記となっているが、今は午後4時前だ。今日は9/11memorialに午前8時30分から出かけて、30分足らずで出てきた。その後、ブルックリンまで行ってフリーマーケットを見てきた。シガレットケースを探していたが、どれも古すぎて錆びていたり腐食で穴が開いていたりしていた。それでも10数ドルくらいしていた。友だちのため探したが、気にいったものはなかったし、40ドルほどの値段のものではプレゼント出来ない。フリマのハシゴでヘルズキッチンも見てきたがこちらも同じようなもの。その後、地下鉄でホテルに戻ったのは午後1時近かったが、帰りの地下鉄が何かの整備のため途中で止まっているので、カナルストリートから歩きになった。あちらは土日に平気で路線を止める。ぐったり疲れて外出であった。二日目にしてこの頑張りは、1週間しかないという焦りからだろう。これが3ヶ月くらいいるとなればもっとゆったりと過ごしていることだろう。
5時過ぎに待ち合わせしているから、もうすぐ出かける。ようやく1人の食事からの別れを告げられる。みんな楽しそうにしているからなぁ。
さっき書いた日記は操作の間違いで消えてしまった。がっくりきて書き直ししている。ブログに直接書いているのでそんなことも起きるし、誤字脱字も多い。悪しからず。こうやってホテルにいて書いてばかり。さっきは掃除のおばさんも「今日はいいよ」って1ドルやって返した。前に、掃除の時間だけ外でラブブラしていた事があったが、それも辛い。むこうも楽ができて喜んでいた。

エリス島2016/12/05 07:14

今日は天気が良かったので、島巡りをした。リバティ島とエリス島である。自由の女神のある島は、本来ペドロゥ島と言ったが、今ではリバティ島と言う。あの像がなかった頃にはリバティーと関係がなかったものな。
3回目の島訪問だったが、今回は像の中に入ってみようと思っていた。
でも、事前にチケットを買っておかなければならないシステムになっていた。だから、もうそのチャンスは一生なくなった。特に自由の女神をみても何も感じない。ここが日本人とアメリカ人の違いか。
もう一つの島、エリス島は移民審査が行われた島。目の前に本土が見えても上陸させてもらえず、すごすごと母国へ帰されてしまった人も大勢いた。島の中の博物館ではそんな逸話が紹介されていた。1909年に母親と3人の子供たちが入国を希望していた。父親は1904年からこちらで働いていた。色々あって(ここが肝心なところなのだが、よく分からなかった)どうにか入国できるようになった。その孫が、今ここを運営しているナショナルパークの長官になっているとかなんとか。よく分からないなりに、いい話だなぁと思っていた。
今回、ダウンタウンに宿を取ったことは大正解で、バッテリーパークまでは歩いて行けた。9/11memorialも目と鼻の先。帰国したらこのブログに画像入れよう。
残念な点は近隣のどのレストランも観光客で混んでいて、昨日も今日も昼飯は軽食で済ませたこと。昨日はピザ、今日はフィリー(フィラデルフィアサンドイッチ)で部屋で食べた。フィリーはスライスした牛肉とチーズをバケットに挟んだもの。少し甘いソースで仕上げている。10ドルくらいだから安いとは言えないがお腹いっぱいになる。場所によってはもう少し安いが大都会は物価が高い。
フリーマーケットで買ったニットの上着は子供もの20数年ドル、大人用40ドルでいい買い物であった。チベットかモンゴルか分からないがそういう人が売っていた。3人分のお土産が100ドルで済んだ。
昨夜のブルーリボンという寿司屋の冷酒が一杯25ドルだったから、それに比べたら物凄くお得。深夜に3杯も飲んじゃったからなぁ。ホテルに帰る途中にタクシーで寝てしまった。札幌でも滅多にないこと。しかもここは異国だ。28ドルにチャージが8ドル。どうも騙されたような気がしていたが、ありゃ、深夜料金だ。友だちを駐車場まで送って行ったし、それくらいはかかって当然だ。もやっとしていた闇が晴れた。

半分2016/12/05 20:42

今日から後半戦だ。順調にお金を使っている。連日の深酒。昨日はグラスワインを6杯程だったんだがなぁ。目が赤く充血している。また楽しくジャズを聞き、鼻歌交じりで日付が変わってから帰ってきた。ダイナーが看板になった午前1時に店を出された。ダイナーって朝のイメージがあるけれど深夜までやっているんだな。酒も置いてある。真夜中にリボン型のパスタを食べた。晩飯も取らずに飲んでばかりいたから。
ジャズはBonafideと言う店で聞いていたが、観光客皆無。気分はここの住民になった感じ。若い女性のサックス奏者はフランス人だったが、少し心もとなかった。きっと音楽学校の学生だろう。最後にはかなり熱演した。ミランダ・カーみたいな丸顔、色白でジャズプレイヤーには見えない感じだった。「ウエイン・ショーターみたいだったよ」と声をかけたらすごく喜んでいた。
こっちの人間は握手をしたりハグしたり大変だ。日本で握手したのはいつのことだったろう。ハグは当然したことがない。男同士でハグするって変でしょう。
タクシーは相変わらずバングラデシュの運転手だったが道々色んな話をした。アメリカに来て26年のオジさんは私より若いのに苦労しているなぁと思った。娘がコロンビア大学に入ったことが自慢そうだった。そして私が日本人であることを言い当てて自慢げだった。中国や韓国の人間とは違いがあると言っていた。そして尊敬していると。チップ稼ぎか?
ちょっとマンハッタンを乗り回したら、20ドルくらいは簡単にかかることも理解した。
さて、今日はどうしよう。明日は昼夜、予定が入った。行きたくもないがグッケンハイム美術館にでも行くか、チケットがあるから。お土産も買わなくては。午前7時なのに薄暗い。今日は天気が悪い。

美術館2016/12/06 07:52

今日は美術館をハシゴした。グッケンハイムとメトロポリタンである。ふたつはほとんど向かい合っているので行かないではいられない。City Passの呪縛に 囚われている。6枚のチケット中4枚を使った。元を取ることに懸命。何も捨てちまえばいいのに。でも怪我の功名で、いいものが見られた。グッケンハイムではAgunes Martinという画家の特別展。メトロポリタンでは、一度も行ってなかった日本のコーナーで浮世絵などを見た。いつも同じ回り方ばかりだったので新しい発見があった、日本コーナーは人気がないのか人が少なく、ひっそりとしていてゆったりくつろげる。ちょっとした穴場だな。正面玄関から向かってライトサイドの一番奥まったところなので忘れられてしまう場所だ。
また、Max Beckmanという画家の作品展も初めてで面白かった。レプリカの作品を買って帰りたかったが、本と絵葉書しかなかった。まだまだ世界には楽しいものがあるなぁ。
昨日会った友人が、ブルックリンの地下鉄で日本人の女の子がひったくりにあった話をしていた。パスポートや現金、パソコンなど一切合切入ったバッグを地下鉄のドアが閉まりかけていた時に持ち逃げされたそうだ。電車は出発し泥棒はまんまと駅に逃げおうせた。注意しなければ何が起こるかわからない。タクシーで寝てしまう人だからなぁ。

ジャズ三昧2016/12/06 19:37

昨夜は予定もなく、午後7時にホテルを出て、west villageに向かった。何気なくチョット一杯のつもりでZinc barに入って女性ボーカルを聞いていたが、なかなかうまい。世の中にはたくさんの才能を持った人がいるなぁ。そう思いつつ結構長居をして9時になった。次のステージもいるかと聞かれて、まぁ行くところもないから居座った。そうしたら、6管編成のビッグバンドジャズが始まった。しかも、ジミー・ヒースが書いた曲をトリビュートでやるという。メンバーは、ラルフ・ボーエン、マーク・クロス、スコット・ロビンソンなどCDでもお馴染みのメンバーだった。
ステージに一番近い席に座っていたが、すぐにそこにジミー・ヒースが奥さんのモナと一緒に来た。最初は誰か分からない小男だったけれど、まじまじ見たら本人だった。奥さんに"Real Jimmy Heath ?"と尋ねて笑われてしまった。何とラッキーなことか。90歳になるジミーも後で登場して数曲吹いた。やっぱり年寄りで頼りないが、それはそれ伝説的なサックスプレイヤーで、アドリブの構成など後輩には負けない貫禄があった。その後、土曜日にランディ・ウエストンと一緒にやっていたT.K.Blueやアントニオ・ハートもやって来て夢のジャムとなった。
それが終わると店のバーあたりで待っていた若いミュージシャンが続々呼ばれ、jam sessionが始まった。16歳の女の子がバリトンサックスを持って登場したり、少し上がっている若者や結構歳のいっているおじさん風の人など、深夜まで終わることなく続いた。
こういうもんなんだとニューヨークのジャズシーンが垣間見られた。
興奮冷めやらずでいたが、真夜中を過ぎたので出て来た。晩飯を食べていなかったから、どこかでと思ったが、それから始めると朝帰りになるから自粛。月曜の深夜、タクシーは余っていた。珍しいなと思いつつ、天邪鬼にも地下鉄で帰って来た。そして、いつも立ち寄る店でシーザーサラダに鶏をトッピングしたものを買って部屋で飲み直した。それが2時で、5時には起きている。今日はランチの約束があり、夜はステイシー・ケントを聞きに行く。
昨日までに6軒のジャズクラブを回り、酒をガブ飲みしている。ニューヨーク最後の一人旅と称しているだけのことはある。自画自賛。

英語学校2016/12/07 08:35

街を歩いていたら、大勢の人たちがタバコを吸いながらたむろしているところに遭遇した。東洋人もいればアフリカ系もいた。ビルの看板を見たらEnglish Schoolと書いてあった。なるほど、ミックスしている人たちが休憩時間に外に出て来たのか。インド映画であったなぁ、そういうの。綺麗なインドのママさんが主人公のやつ。
私も拙い英語をきちんとしたいなぁと思ったけれど、もう遅いだろう。これで行くしかない。そう考えながら友だちとランチに赴いたのだが、ワインを飲みながらの会話がもどかしい。以前は一刻も早くその場を離れたかったが、二人きりだとそうもいかず、間違っていたら直せと言いながらアメリカ人と2時間以上も話をしていた。Tavolaというヘルズキッチンでは人気のイタリアンだ。ミートボールの前菜にペスカトーレを頼んでまた昼からワインをガブ飲みしたが、勘定はアメリカ人のジェフが持ってくれた。ここのペスカトーレはトマト味でいつも日本で食べている塩味とは違っていた。量は日本で出る量の倍以上あった。ミートボールもガッツリしていたので、少ししか食べなかったら、友だちが持って帰ると言い出した。こちらは助かるのだが、人の食べ残しでも意に返さないのか。デザートのテラミスも量が多いからシェアして食べた。ジジイが二人一つの皿を突っつく。何でもありだなぁ。さて、午睡も終え頭がはっきりして来たから、ステイシー・ケントを聞きに行こう。