綾部 亀岡2015/10/29 15:03

 今日は一日、大本(おおもと)という宗教のことを考えていた。京都の綾部市というところが発祥の地らしい。近所の亀岡市にもゆかりがある。シャープの液晶工場があったところか。そこは明智光秀の城もあった。歴史上は逆賊なので、あまり町のシンボルにはなっていないみたいだ。市のホームページを覗いても、大本のことは僅かしか載っていない。新興宗教と言っても、もう120年も続いているもので、これは意外にいい宗教かもしれないぞと思い始めた。『大本襲撃』をいう本を読んで戦前に国からの2度の弾圧を受けたけれど、未だに続いているということだけでなく某学会のように信者の獲得に明け暮れてもいないし、その理念は穏やかそうに見えるから。
 だけど、それに帰心したい訳でもないし、明日になったらもう考えなくなっているだろう。私が無宗教であることは、誰から強いられたこともないが、そんな精神しか持っていないのだろう。世界平和を願ったり、自然を愛でたりしてもいない。この「大本」はどうして発生したのだろうかと興味深かったが、「出口なお」という開祖は明治25年に神が降りてきたと言う。しかし、それまであった金光教や天理教にも関心があったらしいから、知識的にはそんなものが頭にあったのだろう。
 世界3大宗教は有名だが、日本の神を敬う漠然とした宗教は珍しいのではないか。その神には形がないように思える。最近、天皇のことにも興味を覚えているが、天皇も神だった。聖師 出口王仁三郎(おにさぶろう)の「おに」は「鬼」であり、その「鬼」も中国から入ってきた言葉どおりではなく、実は日本では神であった。色んな接点で、ここ1か月以上、古代史で遊んでいたが、ここにもまた関連が出てきた。